大沢たかおさんは、『キングダム』の王騎役や数々の役柄を演じ、今や日本を代表する俳優のひとりとなりました。
ですが、若い頃の大沢たかおさんはモデルとして雑誌の誌面に立っていたというから驚きますよね。
調べてみると、ただの「イケメンモデル時代がありました・・・」で終わる話ではなく、挫折を経験していたり、苦労されていた時代もありました。
この記事では、モデル時代の足跡をたどっていきたいと思います。
アイキャッチ画像は@osawa_takao.officialより引用しています。
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大沢たかおがモデルになったきっかけは?
大沢たかおさんがモデルの世界に足を踏み入れたのは専修大学に在学している19歳。
新宿で、加藤雅也さんを担当していたオスカープロモーションのマネージャーの目に留まりスカウトされたことがきっかけになりました。
大学生であれば、卒業後は普通は就職する道を考えると思います。
でも、大沢たかおさんは「未知の世界が面白そう」という感覚と、「普通に就職してもうまくいかない気がした」という直感でモデルを選択したと語っています。
ですが、大沢たかおさんは、モデル業について親からは反対されたようです。
ほとんどの親はモデルの実情なんて知らないだろうから反対するのも当然です。
親の気持ちとしては、安定した職業に就いてほしいと願うからです。
私も親御さんの気持ちはわかります。
それでも家を出てまでモデルの道を選んだというのは、生半可な気持ちではできないと思います。この時点ではまだ「成功するかどうか」なんて誰にも分かりません。
失敗する可能性だって高い確率で想像できます。
大沢たかおさんが、モデルを仕事にすると決めても、成功が約束されている訳でもないし、決して自信があった訳ではないと思います。
気合と根性でどうにかなるわけでもないと思う。
私のことになりますが、『人生の岐路や選択する場面に出会った時は難しい方を選べ!』と人生の先輩に言われたことを思い出しました。
大沢たかおのモデル時代:ファッション誌ではどんな存在だった?
モデルデビュー後、大沢たかおさんは男性ファッション誌「MEN’S NON-NO」を中心に活動していました。
90年代前後のメンズファッション誌といえば、まさに時代の最先端を作っていたメディアのひとつです。
そこに名を連ねていたということ自体、大沢たかおさんは当時の雰囲気やスタイルがすでに際立っていたことの証拠ですね。
大沢たかおさんと同時期に活躍していたモデルさんは、田辺誠一さんです。
同世代のモデルたちが互いに切磋琢磨しながら誌面を彩っていた光景を想像すると、当時のファッション誌業界全体の華やかな熱量みたいなものが伝わってきますね。
この頃、私は10代、20代の青春時代を過ごしていました。
当時の男性ファッション誌は派手でカッコいい感じでしたよね。ですが、私にはハードルが高く、なかなか手に取って読むことはありませんでした。
大人の雰囲気をまとっている男性ファッション誌は、おしゃれな美容室に置いてある本っていう感覚で、なんとなく避けていた記憶があります。
大沢たかおはモデル時代なぜ「笑わなかった」のか?
これは今回調べていて一番印象に残ったエピソードです。
大沢たかおさん自身が、モデル時代にカメラを見て笑うのが恥ずかしかったと明かしています。
ですが、カメラマンからは「ちゃんとカメラを見て」と指摘されていました。
普通なら指摘されたら無理してでもカメラ目線に変えるはずです。
私も指摘されたら、長く活躍したいと考え受け入れてしまうと思います。
ところが、その目線を外した写真が「それはそれで面白い」と次第に受け入れられるようになり、大沢たかおさんのスタイルとして定着していきました。
今の印象からは落ち着いた大人の俳優というイメージですが、若い頃は照れ屋だったというのは意外ですよね。
そんなギャップも魅力に見えてしまうのが不思議です。
大沢たかおさんが抱えているコンプレックスや照れが、そのままモデルとしての個性に変化していく過程というのは、今のSNS時代にも通じる話だと思います。
無理に直そうとしなかったこと、あるいは直せなかったことが、結果的に武器になり、個性として生かされる結果になったことが良かったと思います。
面白いのは、大沢たかおさんのスタイルが広がって、周囲の他のモデルたちまで笑わなくなり、
誌面全体が「ちょっと怖い雰囲気」になっていったというエピソードが強烈です。
一人の照れ屋なモデルが業界の空気を変えてしまったというのは、なかなかできることではないし、そのスタイルが今では当たり前の定番ポーズとして自然にモデルさんにも誌面を見る我々にも認知されているところがすごいですね。
モデルさんはカメラ目線の表情が基本のポーズで、意識して視線を外したり、商品を目立たせるために視線を外すと思っていました。
大沢たかおさんのスタイルが今では当たり前のポーズになっている。
ポーズ1つとってもさまざまなスタイルがあっておもしろいですね。
大沢たかおがモデルとして海外進出
大沢たかおさんは、21歳のときパリコレクションに出演しています。
ただし、そこに至るまでは決して順調ではなかったようです。
約30ものオーディションを受け、そのうち29個では「2、3歩歩いたら帰っていい」と言われるような酷い扱いだった。
日本ではトップモデルでも、華やかなパリコレの裏側の厳しさは意外と語られていない部分だと思う。
大沢たかおさんは、最終的には舞台に立ち、世界のランウェイを歩いたというのだから、その粘り強さと強い気持ちには素直に感心してしまいます。
何十回とオーディションに失敗し続けても、挑戦し続けるメンタルは、簡単に真似できるものではないですよね。
諦めるのは簡単、続けることが大事って言うけれど、本当にそうだと思います。
結果を出すまであきらめない!強い気持ちが大事だと思います。現実を知るとショックです。
でも、厳しい現実に勝っていかないと活躍するチャンスにも巡り合わないってことですね。
大沢たかおさんは実際に本場のランウェイに立ったとき、自分より15cmも身長が高い海外モデルたちを目の当たりにして「この世界ではやっていけない」と痛感したみたいです。
憧れの舞台に立った瞬間に、同時に限界も見えてしまう・・・。
このリアルな感覚が、単なるサクセスストーリーではないところに好感が持てます。
周囲はすごい!とか羨ましい!とか称賛すると思うけれど、実際に自分がその場に立って肌で感じた雰囲気は全く違うものなのですね。
ただ、海外のモデルさんと同じステージに立てるレベルまで来れたことに対しては自信をもって良いと私は思います。
大沢たかおのモデル時代の「下積み」エピソード
モデル時代はお金に余裕がなく、コンビニでお菓子を買って過ごしていた苦しい時期もあったようです。
特に印象的なのが、友人と2人で過ごしたクリスマスの所持金が合わせて160円だったという貧しいエピソードです。
この金額の生々しさが、当時の状況をリアルに物語っています。
雑誌やランウェイでモデルとして活躍していると華やかな印象しかないが、実際の生活は決して楽ではなかったのです。
今のイメージからは想像しづらいエピソードだけに、なんだか親近感が湧いてしまう。
私もお菓子でおなかを満たしていた時期があったので、辛い過去を思い出しました。
大沢たかおのモデル時代は「成功」だったのか?
ここまでのエピソードを整理すると、MEN’S NON-NOでの活動やパリコレ出演という実績がある一方で、海外オーディションでの門前払いや金銭的な苦労といった挫折も同時に経験していたことが分かります。
大沢たかおさんはモデル時代を振り返って「お祭りのように楽しかった」と語っているのですが、その一方では、世界の舞台では通用しないという現実も突きつけられている。
個人的には、華やかな部分と下積み時代の苦労の「両面」がそろって初めて、大沢たかおさんのモデル時代の意味が見えてくると思います。



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